雨宮美奈子、ももいろ革命

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84歳、21歳

わたし21歳、祖母84歳。
 

 
同じ紅色のマニキュアを足の爪に塗りました。
半世紀以上年齢の違う祖母、だけれど趣味は近いのが不思議です。
 

 
 
今回この春にシンガポールへと帰国したのはやはり
自分の中でとても大きなイベントでありました。
眩しい季節に鮮やかな南国の花が咲き誇る場所で、
人生で最も長く、祖母と初めてゆっくりと過ごせました。
 
なぜかいつも翡翠の腕輪、小さな金色のピアス、
そして祖父から貰ったという指輪もいつもつけている、祖母。
 
そんな祖母の話を、ほんの少しばかり。
 
= = =
 
 
祖母は、毎日のようにわたしの面倒を見てくれました。
21歳でいつもは独り暮らしまでしているものですから、
本当は自分のことだって出来るし何でもしたいのだけれど
祖母の中ではわたしは変わらず、「甘えん坊の孫」のままで。
だから素直に、頼るときは頼ってみたりもしました。
洗濯だって、自分でさせてもらえません。
 
 
自分のぶんの下着ぐらい…という祈りも虚しく、
中国語で「わたしがやるから!」と祖母はこなしてしまうのです。
でもまああれが、中華系のひとの親切心。
こっそりと洗濯予定のものを隠すこともしてみたのですが、
これまた見事に怒られました故に最後は諦めました…
 
 
(ちなみにわたしの為に一日五食もごはんを用意する祖母、
 写真は朝9時の朝食。11時にもまたご飯を出してくるというのに!)
 

 
 
祖母の記憶の中では、わたしはやはりまだ小さな子供のままなのでした。
 
ウインナーとアイスクリームがお気に入りだと思われたままで。
共にレストランへ行けば「この子にアイスココアを!」と、
コーヒーを飲みたい気持ちをかき消されて注文されてしまいます。
 
 

 
それが祖母にとってもいちばんいいかな、と思ってそうしていました。
長い間日本で過ごしてきてしまったせいなのでしょう、
祖母が現在のわたしの食べ物の趣味など知らぬのは仕方ありません。
むやみに「コーヒーが良かったのに、」と言うのも野暮ですし。
 
 
わたしのシンガポールの祖父は、もう10年ほど前に他界しました。
それからの祖母はしばらく意気消沈していたものの、
数年後に新たな恋人を作っておりました。あらいつの間に。
しかもこのお相手が60代だというのだから、かなりの年の差!
籍をいれることなどはせず、今はのんびりとふたりで気楽に住んでいます
84歳の祖母、まだまだ恋もする、元気いっぱい。
 
確かに少し足腰が弱ってきたところもあって、
階段の上り下りなどは難しくなってきていますが
肌のつやひとつを見ても凛として綺麗なままです。本当に、美しい。
最初の写真のように、マニキュアもいつも塗っています
ピアスも毎回きちんとつけているのです
 
 

 
…と、改めて思い知らされる祖母でありました。本当に、格好良い。
 
 
祖母の恋人は滞在中、わたしを連れて3人で
数回おでかけに連れて行ってくれました。
ふたりからすればわたしは、まだまだお子様なのでしょう
 
アイスクリームとキャンディをたくさん買ってもらいました。
嬉し、恥ずかし。笑顔でありがとうと伝えました。
 
 
あとすごく小さなことなのですが、
祖母はお年寄り向けのブラジャー(ワイヤーが無くてらくちんなもの)を
どんな時でも決してつけない、とずっと言っていました。
あれをつけてしまうと、気が緩んで腰が曲がってしまう、と。
 
そしてわたしはというと、この若さであるにも関わらず、
肩が凝るのが嫌でノンワイヤーのらくちんブラジャーを
誰にも見られずに済むことが分かっているような休日に
部屋に居るとき限定ではあるものの、いつも愛用しています…
 
この祖母の台詞を聞いて、わたしは一瞬で顔が赤くなった気持ちでした
80代の祖母の美意識のほうが、よっぽど高いではないか!
これには猛省です、もうワイヤー無しは買いません!…きっと、たぶん。
 
 
 
わたしはいつも、祖母のことを「アンマー」と呼びます
ちなみに祖父は「アーコン」。
北京語では無いはずなのですが、これは一体何語だろう
ということで調べてみると、これは台湾系の言葉で「おばあちゃん」なのですね
(しかも沖縄方言でも近い意味で使われているとか!)
 
よくわからないけど「耳で覚えた中国語」しか使えないわたしは、
やり取りが何語か、北京語か広東語かさえも全く分からないままに
いつもいつも曖昧なコミュニケーションをするのです
 
だけれど、それがとてもとても心地よくて
わたしは祖母に「すぐに戻ってくるからね」と
これまた曖昧な中国語で話しかけて涙の別れをしてきたのでありました。
 
 
またすぐに行くね、おばあちゃん。