自分探しの旅から帰ってこいよ



自分ができること、やりたいことと、そしてやるべきこと。

この3つは違う。

 

ああもう。それを理解するのに、わたしはどれだけの時間を費やしただろうか。

 

25歳になったわたしは、自分のしたいなあと思う、ぼんやりとしたやりたいことはあって、それとは別にできることやら得意なことも分かってきた。ただ、わたしにしかできない、やるべきことがわからず、そこだけは宙ぶらりんになっていた。ぽわっと、わからないままで。

 

この、やるべきこと、というのがまた難しい。

自分にしか出来ない、自分の人生をかけてもやらねばならぬことなわけだが、これが「無い」という人もいる。ただ、ひとは素直にこれが無い場合も、無いことを認めない。だってそれはちょっと、プライドが折られることだから。

 

わたしにはやるべきことはない、ということを認めたうえで歩める人は強いが、そうじゃない人がほとんどだ。

「わたしは、きっとあの子とは違う、他の人とは違うんだ」

その幻想が抜け出さずにいると、いわゆる「なりたいと口にするだけの人」となる。通称、ワナビーってやつだ。

それがあるのか無いのかさえもわからんが、とりあえず自分の可能性は模索したい、なんてことを言い始めると、これは自分探しの旅から帰ってこれない人となる。

これが17歳ならいいけど、わたしゃもう25歳だよ。さすがに自分探しの旅からは、この年令の人は帰ってこいよな。

 

ワナビーのままもいやだし、自分探しのたびにでかけたままの人にもなりたくない。

そう思ったので、自分がやるべき使命はこの世にないのかも。それを認めようじゃないかね。

しかし。不思議な事に人生、そう思った矢先、やっぱりこれがしたかったんだと気づいたりするのだ。遅かったな、わたし、でも帰ってこれてよかった。

ざっくり言えば、そのやるべきこととは、とある本を出すことなんだけど、忘れかけていた。やるべきこと、あったわ。それを忘れて、最近は日々に忙殺されすぎていた気がする。ああ、立ち止まれてよかった。無駄に年令を重ねて、日々を浪費しなくてよかった。

 

そして、それをパートナーに話していくと、より明確に形が浮き彫りとなった。わたしがしたいこと、目指すこと。これだけは成し遂げたいと思っていること。自分一人で抱えているより、身近な人に話すほうがそれは形として見えやすくなったりする。

 

このやるべきことは、昔思い描いていた壮大な夢よりちっぽけなものだったのだけれど、それがわたしのすべきことなのだとわたしには思えた。成し遂げられるかは未知数だけど、成し遂げるしか無い。そう思えることに出会えるのって、幸せだなと思った。

 

わたしの成し遂げたいことは、東京オリンピックまでに形にする。

いや、なると宣言しておきたい。数年後、このブログを見たわたしがほくそ笑んでいるといいんだけど。

 

 

写真はこの前、香港へと向かった際に撮ったもの。

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