作家・ライター
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シンガポール人は本当に親日なのか?〜シンガポール人の立場から

  

「台湾やシンガポールって、親日だよね」

「それに比べて中国と韓国は日本を嫌いすぎだよね」

 

こんなセリフを、ちょこちょこと聞くことがあります。

確かにテレビのニュースで目にすることのある、中国や韓国での反日デモ。個人レベルでは仲良くなれるけれど、やっぱり政治のレベルでは壁のあるように感じることがある印象です。

では、台湾やシンガポールは本当に親日なのでしょうか? 

  

初めてこのブログを読む方のために説明しておくと、私はシンガポール出身の日本とのダブル(ハーフ)です。父は日本人、母は中華系シンガポール人。

平成2年、1990年生まれの20代後半の若者(そろそろ厳しいかな……)です。

 

シンガポール、日本のどちらにも住んだ経験を持ち、なおかつどちらの国の人間としても振舞って来ました。2国で教育を受けた経験があり、それぞれに多くの友人がいます。

 

さて、シンガポール生まれの私がその上で、答えます。

「シンガポール人って本当に親日なの?」

 

 

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答えは、

「YESとは、決して言えない」です。

 

ここからは、日本人、特に日本人の若者に知っておいてほしい大事な話をします。

 

皆さんもご存知の通り、第二次世界大戦の最中、日本軍はアジアの各地を侵略しました。

シンガポール人の立場から言わせてもらえば、これは紛れもなく侵略です。

当時は大東亜戦争と呼ばれましたが、いろいろな事情で今は太平洋戦争と呼ばれることが多い戦いです。(ま、この辺の定義の論争は置いておきましょう)

 

韓国や中国、そしてもちろん台湾やシンガポールを含めた東南アジア各国・各地へと日本軍は侵攻しています。

台湾へ行ったのは侵略ではなく併合だ、などというご指摘もありますが……とにかく「東南アジアを丸ごと日本グループ(要するに大東亜共栄圏)にしよう!」とした事実はあったということだけ覚えておいてください。

 

私は日本で中学、高校、大学と高等教育を受けましたが、韓国と中国・台湾のことに触れた記憶はありながらも、それ以外の東南アジア各国の国まで説明を受けた記憶はありません。

つまり、意外と今の若者は昔日本軍が、若者の人気観光地に侵略した歴史を知らないことが多いです。(同級生と話していてもそれは感じることがあります)

 

これ、結構問題だと思うんですよね。

別に日本はいつまでも反省してろ、もっと賠償金よこせ、とは決して思っていません。そうではなくて、さすがに事実は事実なのだからもうちょっと知っておかないと、将来東南アジア各国の人間やシンガポールの人間に会った時に、失礼なことを言いかねないと思ったからです。

 

 

話を少し変えましょう。

シンガポールには、セントーサ島というリゾート観光施設があります。

小さな島になっていて、例えるなら江ノ島のような感じ。つながった陸路でも行けるしロープウェイでも行けるようなところですが、江ノ島よりもとっても大きな施設です。

 

日本人も数多く訪れるこのセントーサ島には、博物館があります。それはシンガポールの歴史を学べる博物館で、人間そっくりのマネキンなどを使って当時の生活を再現したり、文化や出来事を体感できるものとなっています。

 

シンガポールは、日本に侵略された歴史があります。

もちろんその博物館では、日本軍のマネキンがシンガポール人たちを虐殺した風景も再現されています。(現在はどうか確認がとれませんでしたが、少なくとも数年前まではありました)

 

日本人観光客のとても多い場所で、それを展示している意味。これはちょっと考えるべきものではないでしょうか。

それを見た大学生グループと思わしき日本人たちが「え?これ日本人が襲ってるの?んなわけないでしょ」と声に出して驚いた姿を見たとき、私は「知らないの?」とさすがに衝撃を受けました。

 

歴史は次第に忘れられていくものであり、遠く離れた過去になればなるほど作り話のような、フィクションにしか感じられないものになるのは仕方のないものです。映画のような、本当にあったのか信じられないような。

しかしながら、戦争の時代を生き抜いた当事者がまだまだ現在生きていると考えると、さすがに数十年前の戦争は遠いものだったとは今はまだ言えません。

 

他にもこんなことがありました。

台湾へ旅行に行った当時女子大生だった日本人の友人が、私に「台湾のお年寄りは日本語上手な人が結構いるんだね、昔の歌を歌ってくれたよ」と喜んで話してくれたことがありました。

そして続けざまに、「なんでだろ、日本のテレビでも見てんのかな?」と言った時に、さすがに頭を抱えました。きっとその歌は日本統治下にあった時に習ったものなのでしょう。

 

日本軍が台湾にいて、無理やり日本語を教育した歴史を知らない世代が、平成生まれの私の同級生にはいっぱいいるのです。

 

 

日本軍が来た、あの時。

当時のシンガポールは、国としての形も曖昧な小さなイギリス領の島でした。まだまだ発展途上。その中にはマレーシア系の人、いわゆる華僑(華人)と呼ばれる中国系の人など様々なひとが共に生活し、まだ見ぬ未来に向けて一生懸命に日々を生き抜いていました。

(華人と華僑の違いについて細かいことは今回は省略しますが、現在の中華系シンガポール人には華人のほうが適切です)

 

そこに、自転車部隊と言われる自転車に乗った日本軍の人たちがマレー半島から南下し、シンガポールに上陸します。

 

「え?自転車?」と思わず笑っちゃうかもしれませんが、熱帯雨林の多い地域は自転車での移動が簡単なのと、戦争で資源を多く失っていた日本軍にとっては、人力で進むことのできる自転車での移動は効率的だったとされています。(諸説あり)

 

なんのことだかわからないまま、突然現れた日本人たちに驚くシンガポールの人々。

すると彼らは、次々にシンガポールにいた住民たちを虐殺していきます。また、女性たちはレイプ被害にも多くあいました。

 

特に日本軍は、インテリ層への虐殺を強化します。

つまり学校の教師や医師、弁護士といった人たちです。多くのシンガポール人を並べ、お前の職業を言え、と尋問し、このようなインテリ職業を答えた人間はそのまま、現在のチャンギ空港の近くの海で射殺され、海に死体となって沈んでいきました。

これは、インテリ層がいると統治するのが難しかったためと言われています。確かに知識や教養がたくさんある人がいると、人々はその人たちを頼って代表にし、反乱を起こす可能性は高まるのはなんとなくわかりますよね。

 

街中で殺されたマレー系の人たちの首は、さらしものにされて置いてあったこともあると私の祖父も証言しています。

  

またもうひとつ家族の話をしましょう。

私のシンガポール人の祖母はこのときまさに若い10代の女性でした。そのまま街中を歩いていれば、昼だろうが関係なくうろうろしている日本軍の男たちに連れ込まれてレイプされる危険があったといいます。

 

私の祖母は、髪の毛を男性と同じくらい短髪にし、胸をさらしで巻いて膨らみを潰し、男性ものの服を着て外に出るようにしていました。

10代の青春の日々を、祖母は男装して静かにやり過ごした記憶しかないと言います。

 

また、祖母の同級生たちも同じような格好をしていたそうです。(ちなみにこの男装が日本軍の強姦対策には結構効果的だったそうです)

(Twitterでそんなにレイプは確かにあったけどそこまで危険はなかったのでは、公式文書に残っていないからそんなことない、などとご指摘を受けましたが、その時代を現地で生きた祖母や近所のお年寄りから私が直接聞いた正確な発言ですとだけお伝えしておきます)

 

ここまで聞いてもあなたはなお、手放しで「シンガポールは親日だよね!」と素直に思えるでしょうか。

 

内容は異なりますが、台湾だって日本軍からの仕打ちを受けています。もちろん、例えば今や名門大学である台湾大学は、日本統治時代に作られた台湾帝国大学がもとになっているし、日本はそのようなこともしてあげたぞ!と声を荒げる方達もいるでしょう。シンガポールとは事情が違いすぎますが、それでも「その統治が100%よかったことなのか」と疑問を覚える必要はあると思います。

 

ちょっと話が逸れましたが、シンガポールの話です。

 

シンガポールを訪ればわかるでしょうが、どこにも「日本のおかげで」といった文言はありません。アジアの各植民地が大日本帝国によって解放された、と平成の今もなお本気で思っている人がいるならシンガポールのお年寄りの前に行ってください。殴られますよ。

許す気持ちになったわけじゃないけれど、今の時代と昔を別物として認識しているだけで、あまりにも残虐な事実があった日本軍占領時代は暗黒の歴史なのは間違いありません。

 

台湾もシンガポールも、はたまたそれ以外の東南アジアの国々も。

あの時の執拗な日本軍の残虐な行為を忘れたわけではありません。私の家族のように、その経験をもっている人間はまだ2017年の今を生きているのです。

 

ただやはり、戦争は戦争。

あの時の人々、侵略を決めた人々を恨むべきなのであって、今の新しい時代に生きる日本人たちを責めようなんてことはシンガポール人は思っていません。別物です。

だからこそ、そんな祖母の娘である私の母は、日本人と結婚したことを両親に許されています。また、私も日本人の男性と結婚をしました。

 

日本軍がシンガポールを侵略した時、シンガポールは「昭南島(しょうなんとう)」と名付けられました。

 

昭南島としての時代は短かったものの、私たちの手からシンガポールを日本に奪われた時代だとシンガポール人は認識しています

昭南島を説明する博物館のコーナーでは「食糧不足や病気で苦しむ日々であり、暴力や理不尽な嫌がらせにも支配された日々」という説明がなされています。

日本人のような名前を与えられ、日本語を学ばされ、虐殺や強姦に怯える日々を生きた人間は確かにそこにいたのです。

 

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だけど、今は。

私たちは新しい別の時代を生きています。

シンガポール人は高度経済成長をとげていく日本を羨ましく見ていましたし、真似した部分もたくさんあります。今では、ポップカルチャーや和食文化のある経済大国として日本を認識しています。

 

もう一度言います。

ここまで聞いて、あなたは素直に「シンガポールは親日!」と素直に思えるでしょうか。

 

確かに今は親日です、調査でも日本のことを好きな人がマジョリティを占める国です。

賠償金も日本からもらっていますし、シンガポールの建国の父であるリークァンユーは「日本をリスペクトしている」と明言しています。ただし、「我々は完全に許すことはできない。忘れることはできない。」とも。

(日本占領時死難人民記念碑の起工式スピーチより引用)

 

マーライオンを見て、カジノを体験して、マリナベイサンズの天空のプールでシンガポールスリングを飲む海外旅行、うーん、素敵ですよね。

 

でもその歴史の上には何があったか。

その事実を「知らない」とだけは言わないでほしいのです。

 

日本人であり、シンガポール人である私は、みなさんにこれからもそのことを伝えていきたいと思います。


 

 

 

 

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