作家・ライター
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何者にもなれないことを知った女は、男とカメラに依存する

少しずつ、30歳が近づいてきた。

 

27歳となった今日この頃、「私まだ若いから」というセリフが通用しなくなってきたこと直に肌で感じ始めている。そろそろいい加減、立派に大人を演じなければならない。そんな気持ちをどこかに抱えている。

 

27歳。

周囲を見渡すとターニングポイントを迎えている同級生も多い。

初めての転職が一番多いけれど、結婚や出産などの人生の節目を迎えている人も年々多くなる。この先、どうやって生きていく?

そんな行き先をみんな定めてきているような気がする。

 

私より確実に年収が高そうなやつとか、フラットに自由に生きてそうなやつとか、道もどんどんとぐんぐんと分かれていく。同じ教室で同じようなことをしていた学生の日々はどこへやら。私たちは、もう明確に違う道を歩み始めた。

 

それは同時に、自分の才能や可能性と残酷ながら向き合うことでもある。

 

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「私、本当はセーラームーンになりたかったんだっけ」

 

そんな淡い昔の記憶を抱えながら、私は大学卒業後に就職した。職業欄には“会社員”と書くようになった。記号のように並ぶ会社員という文字が、しっくりこない。これは私が何者にもなれなかったということだ。そう思ったのが大学卒業後すぐの春。

 

その後、紆余曲折を経て、今はそんなことをまったく思わなくなった。

夢だった執筆業を仕事にすることができたし、それとは別にしたい仕事に手を出したり、夫の手伝いをしたりと、今では幅広く好きなこと「だけ」をしている。

今以上に今後、夢はもっと広がるし、やりたいこともさらに増えるかもしれない。だけどそれをひとずつ叶えられる気はしているし、そのためにも今はできることからキャリアを伸ばし続けたい。

27歳にして再び大学にも戻ったし、挑戦は続けている。そんな意思をもって、私は今日も生きている。納得しているこの生き方は、自分にしっくりときている。

 

 

さて、周りはどうだろうか?

周囲の同級生を見渡せば、27歳という分岐点にさしかかってもなお迷い続けている人は多い。別に迷わないことが正しいわけじゃない、迷うことは必要なことなのだから。

しかし、迷うというより“行き先を見失ってしまった”のに、プライドだけが高いところで浮遊したままの人間もいる。それは正直、ひどく滑稽な姿だ。

 

私は何者にもなれない……かもしれない。

ほとんどの人がそうやって一度は打ちのめされる。なんともきつい現実だ。

 

けれど、そんな現実に向き合えない女性たちがいる。それでも何者かになりたいとの思いを捨てきれず、薄っぺらくInstagramにキラキラした生活をアップしてプライドを保っている女性のなんと多いことか。

そんな女性たちは、残り少なくなった若さを武器に、そしてこの年齢に至るまでに育て上げた女性としての魅力を武器に、男性にちやほやされることで生き長らえようとする。

仕事で自己実現ができず、結果を残せない場合、なぜか男の人にちやほやされることで自己承認欲求を満たそうとするのだ。文字に書き起こすと非常にばかばかしいが、この状態に陥ってる人はとても多い。

そして男性たちから送られてくるLINEの通知数に安心するのである。

 

なんかちょっとオシャレな趣味を持って、一目置かれたい。

1からの努力は面倒だからできない。

だけど、結果を残したい。

 

その思いをこじらせると、次はカメラという趣味に走ることになる。これまたよくある話。

 

楽器を弾くことも、料理を得意にすることも、どれもこれもそれなりには訓練が必要だ。どれも瞬間的にできるようになるものではないのは皆さんご存知の通り。

しかし、カメラはシャッターを押せば誰でもすぐに写真が撮れてしまう。

(だからこそ、プロのカメラマンはプロとしての価値を出すことが大事なものでもあるのだけれど)

 

だからなんとなく、味のあるような(気のする)写真を撮ることはそこまで難しいことじゃないのだ。

そんな「っぽい」写真を撮っては、「ねぇ、私のセンスいいでしょう?」とでも言いたげにInstagramにアップすることがこれまた、彼女たちをつらい現実から遠ざけてくれるのだろう。

 

男の人にちやほやされて、カメラでおしゃれっぽい写真を撮って。

DIYやら、英会話やら、薄っぺらい趣味で自分を着飾って。

 

ねえ、そうやって生きて、あなたに残るものはなんだろうね?

そんな女性を見るたび、ひどく白々しい気持ちになる。

 

何者にもなれないことを知った女は、男とカメラに依存する。

これってよくある本当の話で、そうやって自分が大事な分岐点にいるリアル(現実)から遠ざかろうとする防衛本能なのかもしれない。

逃げるのは自由だ。取り繕った生き方も個人の勝手だ。

 

だけどその先がいったいどうなるのか、もうちょっと考えてみるといいかもしれない。人生は長い、長いのだ。100年くらい生きちゃいそうな時代なのだ。

だからかっこつけただけの生き方では、そろそろしんどくなってくるんだろう。

 

これは私の滑稽な同級生たちへのエール。そして、自戒を込めた覚書き。

セーラームーンになりたかったはずの少女は、なれないことを知った。けれど、自分の足でリアルな世界に立ち、ちゃんと現実に向き合おうと思うよ。

 

セーラームーン世代の社会論

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