作家・ライター
シンガポール出身,元気なシングルマザー
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結婚すると、夫は親友となった

 

婚姻届を出して、あっという間に数ヶ月が経過した。

 

当時25歳の私は当時29歳の夫と区役所に書類を出しに行った。

そして現在、私は26歳、夫は30歳となった。お互いに歳を重ね、昭和生まれの彼は一足先に大人の区切りのひとつ、三十路という年齢になった。私はずっと4歩後ろを歩いている。

 

書類上の入籍をする前から私たちは事実婚という形を取っていたので、実は結婚生活自体はもうすぐ2年なのだ。こう書くと、意外と長い。

24歳の私は新卒で入った会社をあっという間に辞め、仕事も決めずにただただ夫と一緒になりたくて東京へと来た。思い通りにいかないことも多かったけれども、今はひと段落。今では東京生活にも慣れ、電車の乗り換えも頭を使わずに無意識にできるようになってきた。(これ、東京人って感じだよね)

 

お付き合いらしいお付き合いもせず、いきなり一緒に住んで結婚を決意した私たちは、いろいろなことがなかったといえば、完全に嘘になる。しかしながら、ひとつずつ丁寧になんとかかんとか乗り越えてきて、現在はとても穏やかに、そして自慢したくなるほどに仲良く暮らしている。夜、布団に入り眠る時は必ず手を繋いで眠るし、歯磨きは必ず小さな洗面台の前で一緒に並んで磨いている。

些細なことかもしれないけれど、そんな小さなルールを2人で守ることは仲良く暮らしていく中で結構大事なことにも気がついた。仲良しになれるようなルールを習慣化すると、仲良し度は低下しづらいと思う。

 

2年かけて。

夫との関係性は、私のそう長くない人生の中で、誰とも築けなかったほどに強固なものとなった。親にも言えない、親友にもうまく言えないようなことでも、なんでも気兼ねなく相談できる相手である。

それはときに恋人のようであり、親友のようであり。でもあちらが上って感じもあるので、どうやら兄と妹のような関係性でもあり。

喧嘩しながらも、憎まれ口を叩きながらも、それでもなんだかんだ夜は必ず手を繋いで眠る。それを繰り返している。

 

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人はときめきあいながら、恋愛を続けるのだという。

ただ、一緒に住むと、日常生活の延長線上に必ずいないといけなくなるので、どんどんときめかなくなる、相手を恋愛相手として見られなくなるなんていう声もある。確かに最初はドキドキする相手だとしても、毎日風呂上がりに裸でウロウロしている姿を見ていれば、それもちょっとは低下するはずだ。

だから、こそ。そうさせないよう、頑張って気を回していた。

ま、どうしても風呂上がりの裸を見られることはあるので、その代わりといってはなんだが、毎日のように好きだ、愛している、あなたには才能がある、誰よりもかっこいい、と事あるごとに言うようにしていた。友人たちには「フランス人かよ」とつっこまれた。それでもやめなかった。実際、本気でそう思っているし、そこに惚れ込んで結婚したのだし。

 

こんなふうに言葉に繰り返し出すことは結構重要なようだ。

最初は「はいはい」と聞き流していた夫だったが、あまりにも私が言うものだから、そうかな?と照れるようになり、そして最終的にはその言葉を素直に受け入れるようになった。うーむ、一種の洗脳とも言えよう(まあ、洗脳といっても主観的事実を伝えているだけなのだが)。 

 

するといつの間にかときめきを飛び越えて、「相手は自分のことをよく見てくれているな」とちょっとずつ支え合う相棒感を高めていく結果となった。ドキドキもするのだけど、それよりも安心する信頼感が満ちていくのである。

 

こりゃ親友だな、と思った。

ときに恋人のようであり、親友のようであり。先ほどそうは言ったが、どっちかというと親友要素のほうが大きく高まっている。

 

そりゃそうだ。

家庭という同じ船に乗り、結婚生活という荒波を共に乗り越えて進んでいる仲間なのだから。同じミッションを抱えた同僚は、親友のようになっていく。 

まさかこんな風になるとは、2年前に一緒に生活を始めた時には思いもしなかった。 だけどちゃんとそんな親友にときめきもするし、仲良く生活できているのだから、あの時予想していた以上には上出来なんじゃないか。むしろ予想以上に仲良し度が高まっちゃいないか。

 

ときに恋人のようであり、親友のようであり、そして夫婦であり。不器用ながらも私たちはこれから一緒に、関係性をゆるやかに変化させながら歩いていくのだろう。

もっと深く付き合っていくのかもしれないし、経験したことのない予想しないような関係性になっていくのかもしれない。

例えばもう1年経った時には、どんな関係性になっているのだろう。それが楽しみで楽しみで、仕方なかったりする。

 

 

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