作家・ライター
シンガポール出身,元気なシングルマザー
鬱々とした陰気な感情を,
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ただ、圧倒的で。『 #天気の子 』公開初日に観に行ってきた(ネタバレなしの感想を興奮したまま書きます)

 

あまりの、すごさに。

ちょっとまだクラクラするというか、胸が苦しくなるほどに打ちのめされているのですが、どうしても今のこの感情や気持ちをきちんと記しておきたくて。

映画館を出てそのままにパソコンに向かい、勢いづいたままこの文章を書いています。

 

 

新海誠監督作品 天気の子 公式ビジュアルガイド

 

公開初日の今日、平日の朝9時から映画『天気の子』を観てきました。

新海誠監督による、『君の名は。』から3年ぶりの新作です。

 

何がどうすごかったのか、これから劇場に観に行くか迷っている人たち向けに、または劇場であの感情を共有したであろう人たちに向けて少し書いてみます。

以下、ネタバレしないように気をつけて書きます。核心には触れませんがあらすじには触れます。オタクならではの早口っぽい喋り方ですがお許しください。

 

先に言っておくと、どストレートで清純な『君の名は。』に続く次の物語は、泥臭くてアウトローな10代の汚さと大人の不条理な愚かさが詰まっていました。前作が表なら、本作が裏。描き方が真っ向から逆です。

そしてただひたすらに圧倒的で、ただひたすらに美しい作品でした。

 

世界は、狂ったままでいい。

 

主人公・帆高(ほだか)は、16歳の“少年”。

それは地方の──きっと何もなくてつまらない離島──を地元にもつ彼が、なんのアテもなく東京へと家出するところから物語は始まります。 

 

「どこか働ける場所はないですか、学生証や身分証なしで」

そうインターネットの知恵袋に問いかける彼の姿は、不器用で背伸びしたがりな、ただの“少年”です。

 

東京に住んでいる人ならば、すぐにわかる固有名詞のある風景がこれでもかというほど出てきます。

個人的に印象に残った場面を、軽く書き出してみただけでも以下のことが記憶に残っています。

 

新宿の風景、代々木のビルへの距離。

 

都会の座席の小さなマクドナルド、銀座の時計台。

 

スカイツリーのわかりやすさ、ネカフェ・マンボー店員の冷たさ。

 

新宿から大久保につながるラブホ街、池袋のビジネスホテル。

 

iPhone、Yahoo!知恵袋、ガチャガチャの並んだ街並み。

 

山手線のアナウンスと息遣い、雨に弱い都市構造。

 

芝公園のわざとらしく整備された美しさ、都バスの渋滞。

 

田端駅の坂の上、チキンラーメンとプレミアムモルツ。

 

JNNの速報、騒ぎ立てるマスコミ、無責任な大人たち。

 

もはや、いったい全体それぞれの会社にどうやって許可をとったんだろう?

 

そう思うほど緻密に、現実世界の温度感をそのままにアニメ表現をしているものだから、日本に住んでいる人には、そして東京に住んでいる人にはなおさらに、身近なファンタジーとして距離を詰めてくる表現がちりばめられています。

 

マクドナルドもYahoo!も。

決して全てがいいように描かれているわけじゃないのに、社会倫理がうるさい昨今であんな表現が許されてしまうのは、前作の『君の名は。』で大ヒットを飛ばしたからこそ。

そうじゃなければ許されない、実績があるからねじ伏せられたのであろう表現の連発でした。これがまず、すごい。

 

だからこそ。

高校生がラブホテルに逃げ込むことも、新宿の歌舞伎町で未成年を水商売につけようとするスカウトマンが存在することも。マクドナルドを頬張る高校生の姿も。実際にあるからこそ、リアリティのある表現を細かく描くことができ、この作品は肌に触れそうなほどの近さを実現したのだと思います。

 

協賛がこれでもか、というほどついたアニメ作品だという捉え方もできると思いますし、そこに対して批判を向けるひとも多くいるのでしょうが、協賛の正しい使い方ってこれじゃないかな、と個人的には思いました。

 

「これは、私たちの日常生活の延長線上にある物語である」

 

そう錯覚させるための仕組みなのだし、できるかぎり物語に邪魔させるような表現はできるだけないようにさせる努力が詰まっていたので、私としては大歓迎でしたし、この表現が面白さに拍車をかけていました。

(完全に余談ですが、ゲーム『龍が如く』をプレイして歌舞伎町にいくのが楽しくなったようなタイプの人にはドンピシャの映画だと思います)

 

 

ここからさらに踏み込むと、『君の名は。』ってのは優等生な物語だったということは皆さんの記憶にも新しいでしょう。

 

協賛もつけやすいし、高校生の純真な部分を見事に描ききっている。その面を知っているからこそ、多くの企業は「次はよろしく!」などと協賛を安心して委ねていたのかもしれません。期待はすごかった、と思われます。

 

新海誠監督はもしかすると、ここで舌打ちして作った作品なのかも、しれません。

述べた通り、この作品にはダーティーな部分が多くあります。警察につかまりそうなことも、18歳未満の未成年が入っちゃいけない場所に高校生が入ることもある。なんなら、高校生がお酒を飲みそうにもなる。

でもそのダーティーな、危うさが面白さを支える屋台骨でもあります。

 

そんなリアリティのある世界には、もちろんリアリティのある大人が登場します。いやあ、思い出すだけでヒリヒリしてしまう。

 

誰しもが“無責任”に願う、「天気が良いと嬉しい」というささやかな欲求。本当は誰かがコントロールできるはずのないものを、もしもひとりの少女がコントロールできてしまったら。大人は。

 

正しいと“思われる”ことをした、少年少女。

誰かの笑顔が見たくて始めたはずの、晴れ女。

だけどその正しさに首が締められていく姿は、もう見ていられない。

 

運命に翻弄される少年少女の、無茶な抵抗。

不法就労させたのも、拳銃を持っていたのも、すべて“正しくない”ことなはずなのに、正しさで少しずつ追い詰められていく、少年少女。

 

本当に狂っているのはどっちだろうか……いや、どっちも狂っていたのかもしれない。だって、世界は狂ったままでいいのだし。というか、悪意なく世界を変えてしまったとして、それを誰かが責めることなどあってはいけないのだし。

 

 

「こんなにも異常気象が続くなんて最近の天気はやばいね、ついに狂ってしまったね」

 そうやって発言する私たちの日常。

もしも誰かがその天気のために犠牲になっていると知ってもなお、個人的事情で結婚式だの運動会だので晴れて欲しいと思ってしまう、私たちの横暴さ。

それはもちろん、天気に限ったことではないでしょう。誰かがそうしてくれたらいいのに、と思って過ごす人の多さ。

 

そこをシンプルに描いていく本作は、天気────つまり天の気分という、人の力ではどうしようもないはずの圧倒的なものに対して抗う東京の、人間の姿を描いています。

そしてそれを動かせると知ってしまったときの、人間の姿、動き方。

 

天候が狂っている? 天気が狂っている?

狂ったっていい、世界は狂ったままでいい。

“少年”が無理に大人に立ち向かう姿もまた、狂っているのかもしれない。

「人生を棒に振ってまで彼は……」と大人は言う。

私なら、どちらの肩を持つだろうか?

 

 

 

そうストンと腑に落ちる、肩の力がおりる、自分の日常の無責任な発言を思わず恥じてしまいそうになる、ミラクルの詰まった作品でした。

 

『君の名は。』の感動をもう一度?

バカ言え、世界はもっと狂っている、狂ったままでいいってお前らだって知ってるだろ。認めろよ。

 

新海誠監督の、そんな声が聞こえてきそうな作品です。拳銃を持ち歩いている人間が狂っていない、わけがないだろう?

 

(またもや余談ですが、個人的には『君の名は。』は例えるならMステで見るタモリさん、『天気の子』はタモリ倶楽部で見るタモリさんの顔だなと思いました。要するに裏表になっているということが言いたい!!!)

 

映画のための音楽か、音楽のための映画か?

 

本作では映画『君の名は。』で音楽を務めたRADWIMPSが、またもや音楽を担当しています。

これがまあ、映画のために音楽を作ったのか、音楽のために映画を作ったのか、いやどっちもかもしれない、どっちかだとしてもどっちもだろう、というぐらいのビートで脳に振動を伝えてくる設計で音楽が作られていたように思います。

 

まあ、あれだ。とにかく見て……。

この予告編だけでいいので、まずは、見て……。

 

 

 

(重力が眠りにつく1000年に一度の今日は、きっと今日だ!)

 

初期の頃(メジャーデビューした2006年のあとぐらい)から一応RADWIMPSを知っているけれど、なんというか、いや、なんていえばいいんだろう。

 

最近の作品(「君の名は。」の曲含む)での印象的なリズム感をそのままに、だけど初期の頃を彷彿とするほどまっすぐで、聴いているこちらが恥ずかしくなってしまうほどにストレートな歌詞がガツンと合わさって。

音が消える瞬間に耳に残り香を残していくような、引き込まれて一瞬ふわっと鳥肌が立つような、そんな感覚をこちらに享受させる設計で、すごいよ、すごいです。

 

「愛にできることはまだ、あるかい?」

 

個人的にとても好きなバンドってわけではないんですが(悪い意味じゃなく、ただ個人的な音楽趣味としてはかなり遠い)、こういう曲の作り方ができるのは才能だ、と打ちひしがれてしまう、嫉妬できないほど遠い力を感じてしまいます。

物語に色を付ける音楽って、こういうものなのか!

 

こういう表現は個人的には好きではないのだけど、でも若者にわかりやすく言うなら「エモい」瞬間を生み出している音楽になっているように感じました。

 

新海誠監督の作品、特に『君の名は。』は圧倒的な映像美と圧倒的な音楽でうやむやにされてしまう部分が結構あるとも思いますし、そこが批判対象になることもあるのだとは思うのですが、大人ならではの「辻褄が合ってない」とかそういう野暮な批判は置いておいていいんじゃないかと思います。

 

だって、これ、エンタメだし。

それに、世界は狂ったままでいいのだし。

 

私は何も上手なことが言えない人間なのですが、ひとつだけ一人の観客として言えることがあるとするのなら、これだけは言える気がします。

 

「新海誠さんとRADWIMPS、出会ってくれてありがとう!!!!」

 

そして少年は、青年になる

 

10代の“少年”は、無敵です。

最高に、無敵です。

 

自分自身が10代の頃にはその無敵さに気づかないし、正しい感情もいびつに感じてしまうけれども、大人になると懐古して胸が締め付けられ、ときにその清純な姿を眩しく疎ましく感じることもあると思います。

 

作中には、その姿をどうにかしたがる大人が何人か登場します。

きっと私たちは、日常はそちらの大人側として同じように過ごしているのでしょう。……なくせに、この作品の世界に触れている時間はついつい、少年側の気持ちになってその心を目で追ってしまうことになると思います。

ずるいですよね、ずるい。でもアニメ作品に触れている時って、こういう気持ちになる大人の同士の皆さんがほとんどなんでしょう。

 

彼は、ひと夏の思い出を通して“青年”になっていきます。

必要な反抗に反抗を重ね、自分を押し通すことで大人になっていくその姿に、不条理に感じるけど筋が通っている大人たちとの戦いに、“成長”を知っていく作品だなと思いました。

 

「よぉ、青年。」

10代の頃に“少年”だった僕たちは、きっとそう呼ばれるようになることに抵抗があったはずなのに。

思わずこう呼びかけられたなら、「とにかく必死だった少年」は次は「世界を知ってしまったような諦めを感じてしまう青年」になります。

 

でも、それでいいんです。

“青年”は“少年”には戻れないから。

それに、ときに年下を“センパイ”と呼んでしまったっていいのだから。そんなのは、僕らで決めてしまえば良いのだから。

 

「もう大人になれよ、少年。」

 

そう呟く大人は、いつまでも禁煙に成功しない不器用な大人になりきれない大人、かもしれません。

 


目次

『君の名は。』と比較される前提のアンチテーゼ

 

この作品は、本当にことあるごとに前作と比較されているし、面倒くさいほどに期待されてしまったのだなと思いますが、いい意味で裏切り、いい意味で期待通りに作られた作品だと個人的には感じました。

 

痛快ですよね、丁寧に辻褄を合わせるとか、主人公の親との関係とか、さまざまなことを描くことを放棄している作品でした。『君の名は。』で向けられた批判とか聞いてないでしょ、って感じです。

ぱっと見ただけでも「あれ?あれって……」とか「でも、なんでこうならないんだろう」とか、「そもそもあれの意味は?」とかたっくさん、もうたっくさんありましたよ。正直に言えばね。

 

でもフィクションというものは、そんなの表現者側に委ねられているもんなので、それでええんじゃないですかねって感じですし、受け取る側や批判する側にも自由な解釈があるんですから、歩み寄っていく必要もないっしょ。

いえーい。どうぞ突き進んで!そのまま!それぞ創作だ!

 

…………とはいうものの、ちゃっかりと前作を愛する大衆というか、ファンに向けたフックもちゃんと仕掛けられていて、作品への愛と感謝が詰まっている側面もありました。

この絶妙なバランス感、あっぱれです。

 

君の名は。

 

そうだよね、あの子はその職業になってるよね、大人になってるね。何してるか気になってたんだよ!教えてくれてありがとう!

そう思ってしまうポイントがあるので、もしも『君の名は。』も合わせて観るつもりがあるという予定の人は、『君の名は。』から順番通りに見た方が楽しめます。

 

比較する意味なんて全くないんですけど、それでも比較しろよと言われたら個人的には『天気の子』のほうが好きでした。でもそれは、前作を観ているからこそ、なのかもしれません。

『君の名は。』では(子供などには)複雑すぎる・難解な部分があるとされていたストーリーでしたが、今回はばっさりとシンプル化されていてわかりやすくなっています。ど直球、シンプルストーリー。

 

でも、そういう物語の複雑なうねりみたいなものが物語に重みを持たせるのもまた事実なので、前作のほうが好きだってひとと半々に分かれてしまいそうな気もします。

ま、それすら新海誠監督にとっては「計算済み」と笑ってしまうことなのでしょうけれど。

 

「本当にいるかもよ、100%の晴れ女!」

 

今日思ったのですけれども、新海誠監督は“持っている”人なのだと思います。

 

作品の中では「観測史上最長で雨の日が続いている東京」が登場するのですが、これは運命でしょうか。

まさに東京、実は昨日まで本当に観測史上最長の晴れのない日が続いていました。

 

これを運命と言わずに、なんと言うのでしょう?

 

公開初日の今日の朝。

傘をさしながら映画館に行ったのですが、鑑賞し終えて映画館を外へ出ると、驚くほど真っ青な天気!

 

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曇天の切れ間から、ちゃっかり太陽。

今日の天気予報、家を出る前は1日中雨だって言ってたのに!

 

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思わず声に出ました。

「嘘でしょう!ねえ、本当にいるのかもよ!100%の晴れ女!」

 

 

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ちなみに公開初日の朝だった今日、エンドロールが終わった後に自然発生的に劇場内で拍手が発生し、いつもの映画館だったのに初めて拍手に包まれる瞬間を見ました。

応援上映などではなく、こんなふうに拍手が生まれる映画鑑賞、人生で初めて見ました。

 

終映後、歩いていると日本テレビの『ZIP!』にインタビューされたので、興奮冷めやらぬまま夫と一生懸命に答えてしまいました。

 

ふたりとも早口のオタクなので、面白い感じになっていると思います。ウケる。

 

 

もっともっと書けることはあるし、あの指輪にもチョーカーにも言いたいことがあるし、ちょっと本当に興奮冷めやらぬってな感じなのでもう少し話が聞きたい人はどうぞオフラインで私を捕まえてください。

なんかもう、まだ整理ついてないんですよね、気づいたことがあれば追記します。

 

昨日の今日だったけれど、まだ動揺しているけれど、そんな私の気持ちを朝から支えてくれる作品でした。どうか100%の晴れ女、京都の天気のこともそっと祈っててね。

 

「ねえ、今から晴れるよ!」

 

 

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